行革の課題と展望-2005-

もう何年も行革は続いています。私も行革に関わり続けて10年近くになります。
最近は、同業者を見ても、身内を見ても、2種類の人間が目につくようになりました。
1つは、行革についての知識や経験、強い意欲のない冷めたニューカマーたちです。彼らは行革の苦しさと困難さだけを味わい、一日も早い異動を希望しています(もともと希望して来たわけではない)。問題の本質を見ようとせず、たとえ見たとしてもそれを改めようとせず、たとえ改めようとしてもすぐあきらめてしまう。非常に賢くもか弱き人種です。もちろん彼らだけが悪いわけではないのです。彼らのハートに火をつけるチェンジリーダーがいないという不幸もあります。そもそも確かに彼らの扱っている課題はどれも困難極まりない過去のツケばかりです。アンラッキーと感じる人がいても不思議ではありません。だた、彼ら自身が未来に責任を負っていることは忘れてはなりません。
もう1つは、改革疲れをおこしたかつての同志たちです。かくいう私もこっちの部類に近いかもしれない。あきらめずに戦い続けた人たちも、それでも変わらない不甲斐ない組織(文化)に疲労感を隠しえないのです。ニューカマーとの違いは、彼らより幾分かタフだっただけかもしれないですね。いずれにしろ行革部門は、先行き不透明感と、財政的危機感と、新しい経営概念の洪水にさらされ、疲れを見せ始めています。

私は「行革」という言葉が嫌いです。本質的には、改革の連続こそが経営であり、あえて改革を口にする時は経営の失敗を認めなければならないハズです。なのに、役所は失敗を認めず「行革」の看板だけを大事にするところがあります。「変わらなきゃ」自体が目的化して、ジタバタするばかりで具体的な価値を実現しないことも多いです。現状の弊害(始発駅)と理想の状態(終着駅)が明確にあって初めて、改革の列車は走ることができるのに、多くの行革はレールもなく「走ることだけ」を目的としてしまいます。どれほど進んだかは関係なく、「私たちは一生懸命走ってます!」と宣伝するために。

最近、「古い行革の教科書」と「新しい行革の教科書」という言葉が不意に口をついて出てきます。何十年も前の行革のやり方に固執する管理・官房部門が多くはないでしょうか。右肩上がりの時代にしか通用しなかった方法(特に時間が解決してくれる、というものが最も典型的)を振りかざして、新しい行革のやり方に耳を貸さないどころか、あざ笑うことさえあります。教科書と比喩しましたが、経典と言ってもいいでしょう。まるで宗教のようです。
いま私や数人の仲間は、行革の新しい教科書を作ろうとしています。我々だけではなく、全国の多くの職員や研究者、コンサルたちも様々な新しい教科書を作ろうとしています。そしてそれらは誰かの手によって実践され、実証され、伝播し、再現されて初めて「新しい教科書」となるのです。「新しい」と書きましたが、別に目新しい内容が書いてあるわけではありません。どこかで聞いたことのある話に違いありません。ただし、流行のNPMがそうだという気もサラサラありません。少なくとも、古い教科書に新しいネタ(何とかシステムみたいな)が加わったようなものを指すのではなく、パラダイムが大きく変わるのだという風に理解してほしいと思います。

新しいパラダイムを読み解くヒントは、私は「人口減少」と「体制の逆ピラミッド化」にあると考えています。しかしここで結論を急ぐことは控えたいです。その代わり、現在の行革の課題と展望を、私なりに整理したいと思います。現時点(2005年)の中間的な整理です。

<これまでの行革の課題>
1.危機感がない
 改革しない方が無難だと考えている。どうせ何とかなる、もしくは、一度潰れないとダメだ、くらいに思っている。こういう状態が最も無責任で始末が悪い。給与カットは公務員にとって危機感にならないことは証明された。給与カットといってもせいぜい数%であって、雇用が保証されている限り本当の危機感は生まれ得ない。また、組織の危機感とは、実際の危機を先回りして、リーダーが人工的に作り出すものである。そうでなければ、実際の危機には間に合わない。
2.改革のやり方がわからない
 改革しなきゃいけないのは十分わかっているのだが、これまでに改革を経験したことがない。過去10年の行革もそのほとんどが実は改善・見直し程度のものにすぎない。改革は経験的スキルである。だから過去の経験を繰り返すので、いまだに10年前と同じ改革をやっている。
3.時間切れ→形作り→先延ばしのパターン
 右肩上がりの時代には時間が物事を解決してくれた。納税者も市場も時間とともに拡大した。家のローンも時間が経てば給料が上がるし、公の借金も時間が経てば返す人が増えた時代だった。その時代には、課題に対して、1年かけてゆっくり検討(するフリ)して、期限ギリギリになって、とりあえずやったという証拠を残すためだけに報告書で形作りをして、結局、手軽な応急処置だけ行って、抜本的な問題解決は先延ばしをするという黄金パターンが築かれた。その時代に限って言えば役所文化の最高傑作だと私は思う。
4.改革をやったかどうかの責任が不明確
 改革とは問題解決をすることである。そのハズであると私は信じたい。しかし、改革をやって問題は解決したか?どの程度が解決して、どの程度未解決で残っているかきちんと測っているだろうか。解決できなかった責任は誰がどう背負ったのだろうか。我々は随分とそのことを蔑ろにしてきたようである。
5.縮小コピーの財政削減は構造改革にあらず
 毎年行われる予算査定の10%シーリング。平等に削るので不満も出ないし、簡単に歳出を抑制できる伝家の宝刀である。これに枠予算を付け足せば、各部局が勝手に枠内で優先順位付けをやればいいので、管理部門に責任は及ばない。そう、管理部門は来年度の定数と予算が決まりさえすれば、とりあえずあの地獄のような残業の日々を抜け出せるのだ。しかし、このシーリングというものは、縮小コピーのようなもので、構造を変えないまま組織の体力を奪ってしまう。
6.財政力や行革の取組と無関係に決まる職員採用数
 経営の体力と無関係に職員採用数を決められるのは役所くらいだろう。しかも、採用数は積み上げ要望に基づき、組合と調整して決まる。その過程の中で、今後のIT化やアウトソーシング計画は加味されない。まるで順番が逆だ。どの時点で、経営に必要な人材をどのように調達し、その内訳として、プロパーとアウトソーサーをどう組み合わせ、IT投資をどの程度するか検討することによって、効率的なリソース配置が決まる。採用数は最後に決まるものだ。
7.これからの時代に求められる人材像と職員育成の不在
 「これからの時代」という言葉を「いまやろうとしている経営」に置き換えてもいい。目的を達成するために必要な能力、センス、マインド、行動様式を特定できないのは、目的そのものを見失っているためである。「いや、きちんと研修をやっている」という反論は空しい。結果と成果を数値化していない限りは。
8.はじめるのもやめるのも内部の論理を重視
 行革はいつから始まり、いつ終わるのか。何がそのきっかけになっているか調べてみるといい。内部の論理で始まったものは、結局成果も出さぬまま、内部の論理で幕を閉じる。顧客ではなく内部の論理を最優先する文化、それが行政の最も厄介な欠点である。市民参加すらも内部の論理でやり、内部の論理でやめているハズである。
9.困っている市民より内部の都合を優先するツケ回しの構造
 内部の論理を優先していくと、最後はツケを外に回すようになる。こうなると役所は「役に立たない」どころか害悪にすらなりうる。予算カットのツケを委託料の引き下げで民間企業にツケ回しする。事業費の大きな事業はそれも可能だが、小さい事業や予算の付いてない事業は廃止してしまう。福祉サービスの多くは歴史的にみてそういう運命を辿ってきた。たいして大きくもない予算を獲得するためにどれほどの闘争と苦悩があったかを知らない職員たちが、「市民にも一定の負担をしていただかなくてはならない時代」という論理のすり替えにより、事実上、所得再配分の機能を放棄してしまう。
10.幹部職員の緊張感・当事者意識のなさ
 このような状況についての幹部職員の緊張感や当事者意識はどれほど感じられるだろうか。彼らが俗にいう「勝ち逃げ世代」だから当事者意識が低いのだろうか。いや、そもそも幹部職員ですら行革を考えるチャンスは与えられてこなかった。皆が無責任を共有化してきた時代を過ぎ、ある意味、時代が変わったということを体感させるショック療法が必要なのかもしれない。当然、ある種の抵抗勢力は生まれるだろうが、それ無しに緊張感や当事者意識は生まれ得ない。トップの持つ唯一直接的かつ有効な権力は、幹部の人事権なのだから。

<今後の行革の展望>
今後の展望として、5つの要素を基本として挙げておきたい。
1.市民から見て必要だと思われる役所
 必要じゃないものは未来に存在し得ない。少なくとも困ってる人を助けるために役所はあるはずである。
2.決して倒産しない財政
 どんなに大事な政策も倒産したら何もできない。そして悲劇が住民を襲うことになる。
3.問題を明らかにしその解決を志向する経営
 ここでいう明らかとは、数値的に明確であるという意味と、万人に公表されているという2つの意味である。
4.自ら学習しながら仮説検証していく組織
 組織として知恵を蓄えていけるところだけが挑戦を許される。無論、そういう組織だけが生き残れる。
5.組織、職位、職種を越えて助け合う職員
 すべてを支えるのは職員である。職員があらゆる制約を越えて教え合い、助け合うことである。

こうして見ると、行革はまるでチームづくりのようなものだと思います。それはつまらない、苦しいだけのものでは決してありません。
いいチームをつくることは、それ自体楽しいことであり、その先にはもっと楽しい成果が待っているはずなのです。

(2005.1.3)

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